余裕、ゆとり
最近あまりつぶやきの更新はしていませんでしたね。色々な人が書き込めたらと思い少し筆を置いていた節があります。
今日は久々つぶやきますが・・・
どんなにいい言われていることをしても、やろうと思っても、自分や相手に「余裕」がないとかなり難しいものになってしまいます。注意が他に反らざるを得ない状況になり、考えを一点に集中できなくなります。程よい集中ではなく、挙動不審な注視になるわけですね。これではよいパフォーマンスを生み出す事は困難です。
困難なとき、人は忙しいとか、きついとかいったりしますが、そういうときは対外予定していない急な事柄が大半だと思います。予期せぬ自体なのでいっぱいいっぱいになるわけです。では、常に余裕を、ゆとりを持つように工夫していればどうでしょうか?常にもう一つ二つ用事が入ってくる前提で用事を済ませていけばどうでしょうか?
忙しいという人程、休み時間は何も考えずぼーっとしたり、準備に取りかかるのが遅くなったりする傾向にあるようです。計画的にではなく一気に気を抜いて、ストレスを和らげて次の仕事に取りかかる・・・これでは対処療法で、また次々と大変な事柄が発生してその場凌ぎになっていってしまいますね。何よりつらいのは本人で、満身創痍になってしまいます。「誰かわかってくれー」、「手伝ってくれー」といいたくなるような状況に陥ってきます。手伝わないと悪者ではないですが、自分はこんなに大変なのにーとなりかねません。これが父親や母親、上司といわれる立場の人であれば、その思いはその周りの人々へも確実に波及していきます。それが嫌で反抗されてまた自分の仕事が増えて・・・ その繰り返しになってきてしまいがちです。忙しいと自覚している場合はまだ良いのですが、そうでない場合は最終的に相手を攻撃することになってきかねません。そうして適応障害や感情を表出できない状況に陥っていきます。根本的に、出来ない事を出来ないと言える能力を身につけることも一理ありますが、自分自身の評価基準でなく、他人からの評価を第一基準にしている場合この選択肢は不可能になります。人にいいように思われたいと思うのが第一優先であれば、自分が工夫するしかありません。自分の工夫も無しで人にはいいように思われたいというのであればこれ以上の我が儘はありません。
ふとしたときに本屋で立ち読みしたのですが、「4つ仕事が入って急がしいときは5つの仕事をしろ」という逆転の発想で工夫しているものもありました。それはもうやるしかない状況で本気で考えるので、自然と要領も身に付きますし、ある意味での諦めもでてきてふっと緊張が解けるきがします。
また、スケジュールを前日に確認して忙しくなりそうな事柄を予測して、朝少し早目に出勤する等のちょっとした工夫が重要ではないかと思います。疲れて起きて、朝ギリギリに職場や待ち合わせ場所について、いきなりばーっと物事を計画せずに進めて行くとまた満身創痍になってしまいそうな気がしませんか?
それでも本当に忙しい人はいるかもしれませんし、そういった努力をしている人もいるから社会は成り立っているとは思いますが、もう少し肩の力を抜いて楽にできたらと思う今日この頃です。色々学ぶ事がありますね。
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